2018年4月28日土曜日

朝日新聞 折々のことば は集団ストーカー用のコラムと完全に判明

 朝日新聞 折々のことばは集団ストーカーでメッセージをおくるためのコラムです。
 私の被害が証拠です。

以前の事例
朝日新聞「折々のことば」を使ったメッセージ集
朝日新聞の折々のことばでストーカー(2)


 以前から、部屋でノートに書いた日記を2週間近く当てこすられまくるとか、異常なことが起きてたので、
私目線だと明らかに集スト用のコラムなんですが、いままでは私の創作とか、嘘と思われても仕方ない面があった。でも、今回の被害は皆さんにも分かると思います。ネット上で確認できます


4月10日、
よく集スト卒業とか、終わりとか言われたのも懐かしい。

なにしろ、その後も監視されてるからな。
一体何が終わったのかというと、異常なマインドコントロールで「卒業」させた過程が終わったというだけなんだが。
と書くと、

4月11日

長い奴隷生活から解放された老男性。新天地で自由を味わうなか、「世界がいかに自分と無関係」かを思い知る。そこで持ち金すべてを町の子らへの贈り物に使う。彼らの「希望の重量」が自分にかかることでやっと、自らの存在を量れたのだった。
となる。

 これは、20年近い集ストの囲い込みが終わっても、周知活動が上手く行ってない状況を茶化している。「解放され」「自由」でも「世界が自分と無関係」…引用と解説でここまでメッセージを送れるのは、鷲田の才能だろう。この後の展開からも明らかだ。
 というか、集ストが終わったと言っても、まだ朝日だけはこうやってメッセージを送りまくってくる。メッセージを送ってるくせに「解放されて自由」とかやるので、そういう矛盾に頭にきて、掲示板で反論。多弁になって色々書き込む。


マインドコントロールで自滅誘導が2001年~2010年。
公開させる用の見せびらかし集ストが2010年~現在。

マインドコントロールを解くには同じだけの時間がかかるというが、
最初からマインドコントロールだったとして、本当に同じだけの時間が掛かってる感じ。

いや、これはパラノイア的解釈だ

とか書くと、翌日の折々のことば

子どもに対する愛情では「誰から愛されたか」だけでなく、どれだけの愛情を受けてきたかが重要かなと思っています。


〈私〉が今こうしてあるのは、過去に誰かに養われたから。親とは限らない。
何の条件もつけずに世話してもらったこの経験が、いつか自分がどれほど他人を憎むようになろうとも、最後のところで〈人〉への信頼を失わないでいさせてくれる。

と来る。

これも、昨日私が書いたことへの当てこすりである。マインドコントロールを解くマインドコントロールをされた。と書き込んだわけだが、「マインドコントロールを解いてあげた」とは、集スト犯が「励まし」たり「救った」というメタメッセージを送ってきまくった件について、私なりに考えた解釈。それを分かってて「愛情を受けたから、憎むことも出来ない」と煽りを入れてきたもの。
本当にうざい。こんなことにならんでしょ普通。

翌日も煽りが続く。


俺はもう生きてるんじゃない、ただ残ってるだけなんだぞ。

西條八十

 昭和歌謡曲を牽引したこの詩人の長男(八束)の妻は、父が晩年こう口にしたと証言する。
「芝居が終わって誰もいなくなった舞台の上に一人ポツンと立ってる」みたいだと。
作詞家として時代に添い寝しただけなどと世の毀誉褒貶に晒されもしたが、人生そのものが余分、という境地に最後は立ったのだと思いたい。

最初の「ただ残ってるだけなんだぞ」とか「人生そのものが余分」とは、まさに集ストで人生破壊された私の現状である。
「芝居が終わって誰もいなくなった舞台の上に一人ぽつんと立ってる」のはメディアストーカーが「終わった」状況。
一昨日は「奴隷生活から解放されても世界と無関係」で、今日は「毀誉褒貶に曝され、人生そのものが要らなくなっちゃった」と当てこする。
本当に信じられないくらいの当てこすり技術で、驚かざるを得ない。

私が無職状態で周知活動とかしてるので、その件をこうやって表現するわけだ。集スト被害者は仕事辞めない方が良い。生活を破壊されたあとでもこうやって煽られる。


翌日も同じ。

暮らしを犠牲にしてまで守る、戦うものはなんにもなかった。

戦争が終わってすぐ町に並んだのは露店、まっ先に眼についたのがフライパンの山。
軍用資材の残りで作ったそれが、朝日を浴び光っていた。何より大事なのは台所だ、暮らしだ。
これだけは侵してはならないと確信したと、雑誌「暮しの手帖」の創刊者は語る。これからはもう寝間着に着替えて眠れるとも。
「僕らにとって8月15日とは何であったか」

また無職煽り。
「無職で周知しても大して意味なかったね。でも、もうぐっすり寝れるからいいんじゃない?」などと煽ってきている。
あまりにも異常すぎるやつらに付きまとわれてるのが分かるだろうか?
しかもなんというか、今でもあって20年近い被害だし、集スト「卒業」とか「終わり」とか言われるようになって、もう2年以上になる。
終わるわけがない。


 この日、私は動画を投稿する。
内容は、私生活の仄めかしと変な仕草がリレーしてた件。

分かりやすく言ったつもりだし、被害を馬鹿馬鹿しいものと見せかける工作と説明したが、視聴者にも被害者にも評判はよくない。


 あと、創価に破防法適用を求めて終わり。


すると翌日、

それがいまだ見ず名も知らない人の心を、わずかに温め幸せな気分をもたらすなら……この世に存在する確かな意味と資格を持つ

十五代 樂吉左衞門。

 樂家の現当主は、こよなく優美な本阿弥光悦の茶碗「乙御前」についてこう語る。
片や、樂家初代長次郎の、造形上の作為をぎりぎりにまで削ぎ落とした漆黒の茶碗に、「飲めるものなら飲んでみろ」とばかりに無言で「激しく世に対峙する様」を見る。
この二つの極に、十五代の作陶に懸ける思いがぴんと張られている。

とある。

分かりにくいかもしれないが、これは投稿した動画の感想。
今までにも、投稿動画の批評みたいなことを書いて煽ったり侮辱してきたことはよくあった。今回も同じ。

動画でリレーについては結構話したが、それ以外はほとんど触れなかったことを、「造形上の作為を削ぎ落した漆黒の茶碗」「飲めるものなら飲んでみろ」などと煽る。
「激しく世に対峙」とか書いてあるのは、動画で創価に破防法適用を求めたことを思わせる。

そんで頭に来たんで、朝日新聞の折々のことばについて、ネットで調べてみました。すると…



担当記者に聞く「ちょい読み」
読者が朝刊で読んで「あれ?」と心にひっかかるようなものになるといいな、と思っています。
その日一日とか数日間、心の片隅に留めておき、あるときふっと心に浮かべて「そういうことか」「ひょっとしてこういうことかも」と思ってもらえることを期待しています。

で、担当記者の名前で検索してみると、折々のことばについてふたつ記事がありました。

「建前」通らない社会 と 「折々のことば」1面で連載3年目 ぞくっとする感じ、面白い

どっちもちょっと変な記事なんだが、特にこちらはおかしい。

朝日新聞の折々のことばでぞくっとするような文章が載ってたことなんてほとんど無いのだが、どういうわけか「ぞくっとする感じ」が面白いのだという。

鷲田自身も、「意味は分からなくとも、体が震えるようなことばがある」などとコメントしている。

一体なぜなのか?……まあ、考えるまでも無いよね。

朝日新聞の折々のことばは、集団ストーカーで個人向けに盗聴盗撮やつきまといを仄めかして、脅かすためのコーナーなんですよ。社会的に害のあるコラムです。

「建前」通らない社会という記事の方を見てみましょう。


こちらでも、鷲田が同じ写真で同じコメントをしています。…まあ、それはおいといて

これが記事の後半部分です。


このところよく「ポスト真実の時代」だと言われます。真実が通用しなくなった、という意味で言われているのでしょうが、そもそも「真実の時代」などあったためしがあるでしょうか。同時代の社会をとらえるというのは、目の前にあるさまざまな出来事や徴候のなかから、意味あるものをつかみだし、再構成することです。そこには一定の視点があります。「事実」は「解釈」でもあるのです。

 路上でも国政の場でも、最近、「建前」すらもはや通らないかのような印象があります。でも社会を支えてきたのは、建物の梁のような理念です。幾何学を成り立たせている「点」や「線」が本当はどこにも実在しえない理念であるのと同じで、言論の自由や多様性の尊重も近代社会を成り立たせてきた理念です。それがいまとても危うくなっている。

 こうした理念は「これを崩したら社会はもたない」という危機感に裏打ちされていなければ、それこそもちません。だからこそ、そういう「建前」をたえず手入れしておく必要があるのです。その手入れに欠かせないことばを、たとえ蛍の光のようにほのかなものであっても大切にしたいと思いつつ、ことばを選んでいます。


これを読んだとき、うーん、なかなか名分だなぁ、と思いました。…皆さんは、意味分かりました?

途中、「国会で建前が通らないのは危機」なんて言ってるのは、森友・家計問題と引っ掛けてるんでしょう。それでいて、批判をしていない。
朝日にあるまじき記事ですね。

なぜこんなことが起きるかって言うと、集ストのことを言ってるからなんですよ。さっきの「ぞくっとする感じ、面白い」の2日後の記事が、これ。
建前が通らないって記事。

言論の自由のためには、建前が必要、真実なんて役に立たない。
結局事実なんて解釈でしかないじゃないか。
建前言っとけばいいようにことばをえらんで集ストしてます。

そういう意味。
朝日新聞の折々のことばって、本当にこういう婉曲な当てこすりばかりだからね、皆さんには分かったかな?


まあ、そこまでは分からなくても、「ぞくっとする」とか「からだがふるえることば」とかがおかしいのはお判りでしょう。
私もそう思って、掲示板に書き込んでおきました。
4月15日。


そしたら…

4月16日。

ぼくたちがいるのは、すべてがわかった世界ではなく、何がわからないかがわかりにくくなった世界なのだ。

宮内悠介

国境を越える時の「何が待っているかわからない」という感覚が好きと、作家は言う。
わからないものがそこにあると感じると、自分の中の「わからない」も増え、可能性が広がる。
なのに情報検索のツールが身近になり、人はすぐわかったつもりになる。それが世界を狭める。
本紙4月2日朝刊の随想《「未知」はいくらでもある》から。

おわかりいただけただろうか?

ネットで適当に検索したら、朝日新聞の折々のことばが集ストコラムって自己主張してそうな怪しい記事があったもんだから、掲示板に書き込んで得意がってたら、翌日のコラムで「情報検索ですぐ分かった気になってんなよ」と突っ込んでくる。

こんな異常なことが連日続いてるのに、集ストに使ってないわけがない。

この翌日も、奇妙に神経に障る文章が続く。

ささやかに不器用に、空振りも重ねつつ、その折々は夢中だったよなぁ。それやこれやに、もはや寛容になっていいのだな。

小沢信男。

「九十歳。何がめでたい」(佐藤愛子)という思いもないではないが、人生「まんざらでない」と、過去のドジや挫けの連続を笑い過ごせるようになるのも、卒寿を迎えた者への褒美かもしれないと、作家は思う。
いやいや、そんな不首尾も今やうろ覚えでしかないという安穏?

これについて、ちょっと私は誤解してます。
前日の解説で私が怒ってないから、「寛容」云々と書いてきたのかと思いましたが…

「不器用に空振りとかして夢中になってメディアストーカーを追っていたけど、もうそれに寛容になっていい」「過去のドジやくじけの連続をわらいとばせる」とは、メディアストーカー「卒業」になったから、はっきり「やってるよ」という証拠を「ご褒美」としてくれたというわけなんでしょう。

「不首尾をわらいとばせるっていうか、単に忘れてるだけかもなぁ!」という煽りもある。

どんだけ名文調であおってくるんでしょうかこの人。
腹立ちますよ。
証拠をもらったって言っても結局私は何もしてないんですから。
…向こうが勝手に見せびらかしてきただけ。
しかも、普通の集団ストーカーに近いことは、今後もずっと続けるに決まってます。

「卒業」とか「終わり」と匂わされてるわけですが、こうやってメッセージを送ってくるということは、全然信用できないのは分かりますね?

だから、「やめろと言ってるのか、煽ってきてるのか、まるで分からん」と書きました。すると…


4月18日。
戦争とか争いごとって、すべて自分が正義であるという人が起こすじゃないですか。

石田衣良。

 「いつでも正義の側にいたい」と思うのが人の常だが、自分は単純な善悪、正邪の物語を書こうとは思わないと作家は言う。
〈正義〉と〈愛〉は異なる。〈正義〉が顔の見えない人々の集合に向けられるのに対し、〈愛〉は特定の誰かに向かう。
〈正義〉が人々のあるべき姿に照準を合わせるのに対し、〈愛〉は人の現にある状態に注がれる。


はい、「やめろと言ってるのか、煽ってきてるのか、まるで分からん」と書いたので、はっきり分かりやすい感じでコラムに書いてきましたね。

 「もう終わりなんだから、集スト周知とか正義のために戦わないで『人の現にある状態』つまり現状を愛してろよ」というわけです。
 結局煽ってきてますね。
 もう笑うしかない。

 この日、私はあえて鷲田のコラムを解読しませんでした。
 っていうか、しなくても分かるでしょ?
 まあ、ストーカーが私をなだめようとしたり、あおってきてるなんて、私も本当は分かりたくもないことなんですけど。

翌日はこうなります。

4月19日。
「ここから先は他人には触れられたくない」というものを持っているのが、普通の人であり「生活者」です。

原一男。

 「ゆきゆきて、神軍」など、とんがった人ばかり撮ってきた映画監督は、アスベスト禍の裁判闘争を8年がかりで追うなか、
内にしまい込まれた悲しみと、公にそれを語ることの間で揺れ動く住民のその苦渋から目を外せない。そして「感情のディテール」を描くのが映画だと改めて思う。

これも煽りです。
狂人で知られる「ゆきゆきて、神軍」のことをわざわざ取り上げるのは、暗に変人扱いしてるわけですね。
「プライバシー侵害こわくないの?」というわけでしょう。
たぶん、ふつうは集ストこわいから「終わり」って言えば大人しくなるという計算かもしれません。
当時の私は分からないで、まだ煽られてるんだと思いました。
周知なんてするのは恥知らずだとか、苦しみを語るのは嫌だろ?とか…
いや、やっぱ煽ってきてますかね?これ?


わざわざ、他人が見てもおかしいと分かるようなことをあえてして、辞めろと言ったり煽ったりするのは、私に周知させようとしてるとしか思えない。
それで、「これはマインドコントロールだ」とパラノイアになって、その説明をしました。

メッセージを送ってマインドコントロールしたりも出来るわけだ。


こんな他人が見ても分かるようにやるなんて、おかしいんだよな。
初期はこんなんじゃなかった。
明らかに私への嫌がらせ・病気目的じゃなくなってる。

いつも通りです。
私はこれが平常運転。
向こうも分かってると思います。
マニュアル作業だし、型に嵌められた感ありますけど。


すると、翌日はこうです。

4月20日。
「助けて!」って言う言葉をかけられたことある?

中本忠子。

 その経験がない人に「何を言ったってわかりゃせん」と、長年子どもたちに無償で食事を供してきた元保護司は語る。
電気もガスも止められた家の子。暴力団の家族の仕事、母の薬物注射を手伝わされる子。
そんな「重たい」環境にいるから、来ても「よう来たの」としか言わない。
お腹いっぱいになればいずれ「聞きたくないことまで」話しだすからと。

はい。

「他人が見ても分かるようにやるなんて、おかしいんだよな」と書いたんで、
「その経験がない人に何を言ったってわかりゃせん」ときたわけですね。

もう向こうも周知を煽る感じにシフトしてます。
これは珍しいことじゃありません。
一方的にメッセージを送れるのをいいことに、いつもゆさぶりかけてくるんですよ。

解説の私は「やっぱり煽ってきていた」という感じで色々書いてますね。
まあ集ストの仄めかしメッセージなのは見ててもう分かると思いますが、目的が分からない以上、解釈も色々あると思います。




鷲田清一という人の経歴はネットで見ましたが、特に創価ではないですね。
メルロポンティが好きな左翼です。(息子にメルロってつけるほど)
そんな彼でも集団ストーカーに加担しなければならない理由…

まあ、聖教新聞の印刷利権…なんですかねぇ…やっぱり。
最近は不況ですし。


実際の被害はこれ以上に大量にあります。
全て事実です。

元スレはこちら。
朝日新聞が折々の言葉でストーカーしてくる







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