2019年3月12日火曜日

朝日新聞折々のことばがあまりにもシツコイ


朝日新聞「折々のことば」は、非常に分かりやすい煽り工作に使われている。
このころ挑発・嘲笑に使われてたのはあるテレビ番組とか、ニコニコ大百科の集団ストーカー掲示板とか、朝日新聞折々のことばだけではないのだが、分かりやすいので特に取り上げて説明する。





3月1日に、私がPCのメモ帳に書いたこと

「宗教の話を聞くたびに思う話。
どうして宗教やってる人たちは、科学を信じないのか?
これが私にはどうも分からん。小学校初等教育だぞ。信教の自由とか言ってる場合じゃないだろ。
「科学以上」ってやつか?
キリスト教もイスラム教もユダヤ教も仏教も全部おかしいからね。

共同体がどうとか、マインドコントロールとか催眠術とか、そういうの。
別次元の話だから言われるまで矛盾に気づくこと無く存在している裏設定とか。

精神生活とか、信仰生活とか、文化とか、色々呼び方はあるみたいだけど、迷信だ迷妄だとなったら、時代に合わせて変えていかなきゃ。そうじゃないと寄生していけないよ。
いけないはずなんだよなぁ…。
きっと、普通に生きている人にとっては、心底どうでも良いことの部類に入るのだろう。ああいうことは。」

このように書くと、

3月2日 折々のことば
最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。
https://www.asahi.com/articles/ASM2W46TGM2WUCVL00Q.html



私生活の仄めかしをしてきたので、ツイートで今までの工作を簡単に説明すると、翌日また「我慢しろ」的なメッセージが来る。

3月6日
辛さはときに愚かということの裏返しだ
 作家はその昔、一人の少年の就職を斡旋(あっせん)した。彼は雇われ先で、さらに戦地で苦労を重ねたが、作家の「好意」への感謝は忘れず、年に幾度か作家を訪ねる。どんな辛(つら)さも時を経ないとはっきりしない。後で「あんなくだらないことに辛がっていたのか」とあきれることもある。彼がふと口にしたこの感懐にかえってその「苦労の深さ」を思ったと作家は言う。随筆「包む」から。(鷲田清一




3月7日

話せばわかる。

犬養毅

 昭和7年のいわゆる五・一五事件。狙撃せんと乱入してきた青年将校らを、時の宰相はこう制したといわれる。直後、「問答無用」の一言とともに惨殺された。犬養がとっさに憂えたとおぼしきは、対立の激化そのことでなく、意見の対立が対立として認められる場が損なわれることであった。そういう形で理路を交わらせる公分母が消失し、〈社会〉そのものが壊れることだった。

解説
また煽り系。
解説には、共通項が無いと対立すら認められないとある。
私が言わないと共通項すら理解されない状況に仕組まれているのを言っている。


3月8日

人間には

行方不明の時間が必要です

茨木のり子

 「うたたねにしろ/瞑想(めいそう)にしろ/不埒(ふらち)なことをいたすにしろ」、人には「ふっと自分の存在を掻(か)き消す時間」が要ると詩人はいう。「日々アリバイを作るいわれもないのに」携帯電話は鳴る。でも出ない。むしろ時の隙間をこじ開けて一人「ポワン」としていたい。自分を大切に思うのも大事だが、ときに自分に厭(あ)きる、自分をチャラにすることも必要だ。詩「行方不明の時間」から。

解説
「日々アリバイを作るいわれもないのに」などとあるから無視したわけでは無いが、この日は無視してTwitter投稿はしなかった。
どうせ私が引き籠り症で話したくないのを分かっててこう言ってくるわけだろう。


3月9日
包丁で切るんでねぐ、包丁で切らすっていうのは、むずかしいのさ。
奥海良悦(おくみりょうえつ)
 食生活誌の研究者・赤嶺淳の『鯨を生きる』から。赤嶺が聞き取りをしたこの「鯨人(くじらびと)」(捕鯨産業従事者)は、半世紀にわたり鯨を解剖してきた。ぐさっと包丁を入れた時、当たったのが銛(もり)か骨か瞬時にわかる。そして骨に当たれば、剣術でいう「寸止め」のごとく刃先がぴたり止まる。余計な力を入れずに包丁にさっと切らせるという技を身につけるまで、五年、十年かかるという。

解説
3月8日にPCのメモ帳へ
「私の言うことがいちいちテレビやネットの右翼番組に反映されたくらいだから、彼らが日常的に工作されてるのは間違いない。
アメリカ人が翌日の記事で同じこと言うのも何度も続いた。中国と米国で30年やるとか、冷戦みたいなものだとか。

しかして、朝日新聞折々のことばがこれだけやってくるのは何かおかしいんだよな~何だろ?
やっぱり、創価学会 公明党との付き合いだからだろうか?」
などと書いたためか、このような言葉。
おそらく、私の周知活動が最終的にアメリカ・保守批判になっていたことを反映してるのだろう。
暗に、5年10年かけて仕込んでやらせたと言いたいかのようだ。ただ、仄めかし役は事情を何も知らないでやるので、この種のハッタリ地獄に付き合わされるのは毎度のことである。中身があるものかは知らない。



3月10日
臣は神(こころ)を以(もっ)て遇(あ)い、目を以て視(み)ず。
荘子
 料理人が牛を料理する、その手さばきと刀がたてる音はまるで音楽のよう。料理人は、初めのうちは牛の姿ばかり目に入ったが、やがてそれは目を去り、それこそまさに心眼で骨と肉の隙間を切り開き、「天理」(牛の体にある自然の筋目)に沿って難なく切れるようになったという。無理がないから、自分の刀には刃こぼれ一つないと。『荘子(内篇)』(森三樹三郎訳)から。
解説
昨日の刃繋がりな文章。
今度は、切っても自分たちは刃こぼれ一つ無いと言っている。
損失無しにできると言いたいのだろう。


3月11日
言わば震災後八年ではなく震災八年。
 詩人は原発の爆発のあと、何かこれまでとは「全く違うこと」をしなければならないと思い、誰に届くやも知れない呟(つぶや)きを、「苦手」なツイッターに書き込み続けた。この事故の「不条理」に向き合ってそれを「ありのままに」書くことの難しさが、以後の詩業の原点にあるという。民俗学者・赤坂憲雄、アートプロデューサー・相馬千秋との鼎談(ていだん、「現代詩手帖〈てちょう〉」3月号)から。
解説
ストーカー被害をTwitterに投稿してたが、止めたのを茶化したもの。
「苦手なTwitter」とか、「不条理に向き合ってありのままに書くことの難しさ」とか、私の状況とも一致する。

いちいち自分で「こんなことされた」「こんなふうに嫌」と説明するのは好い加減嫌になってきたが、そういう嫌がらせでもある。



3月12日

自分は傷ついたらしいけれど、でも何がどう傷ついているのかも当時はわからなかった
福島出身の大学生
 中学の卒業式の日に震災に遇(あ)った彼は、東北で催されたあるワークショップでこう語ったと、アートプロデューサー・相馬千秋はいう。そして、「頑張ろう」「忘れない」と無理やり前を向かせる言葉が嫌で書いた「敗北宣言」。それが逆に、彼が自身の傷をポジティブに受けとめ直すきっかけになったと。詩人・和合亮一民俗学者・赤坂憲雄との鼎談(ていだん、「現代詩手帖〈てちょう〉」3月号)から。

解説
公開する際、ちゃんと負けなきゃ…という気持ちでやった面があった。
被害公開は明らかにポジティブな行動だが、無視できないから負けという自意識である。
それが「敗北宣言」として反映されている。