2018年4月1日日曜日

教団Xもストーカー作品

『教団X』2014年出版 中村文則

■集団ストーカー

第一部のアマチュア宗教家の思想が殆ど私の日記ネタ。
原始仏教の説明から始まって、微粒子で「物語(フィクション)」ってところまで同じ。
だが、スッタニパータについての説明など、細かいことで私が知らない話がある。
…作者が工作された結果、自分で色々調べるよう誘導されたのだろうか?


私が書いたのは2013年かな?
確か、本が出たころに書評を見て怪しいとは思っていた。
第二部では、「人生は物語だから人権と同じように大切」となっていた。大衆化のためだろう。
要するに、新しさよりも大衆受けを優先した。
そういう部分は丸パクリじゃないが、あんなべらべらしゃべるだけで説明して純文学とか卑怯な気がする。

第一部で出たアマチュア宗教家の思想と、第二部のカルト(保守批判テロリズム)との関連が不明で、とりあえず詰め込んだだけみたいな作品。


■工作作品なのか?

私のメモを「大衆受けしそうな思想」ってことでとりあえず使ってみたくらいの小説。
結局カルト小説とは何だったのか…。
少しも葛藤もカルトな感じも無い小説だった。
普通、第一部でああいうことをやったら、そこから展開するものではないのか?
まるでカルトな必要など全然ない作品。ストーリー性も皆無。
描写があるのはセックスと猟奇、特にセックスで、何故か靖国神社批判とか保守系のネット工作とか、サヨクの主張が織り込まれている点に特色がある。

アマチュア宗教家の思想も作品の特徴と言えるが、単に私にアピールするために使っただけだと思われる。
教団Xは新聞広告でもやたら宣伝していた。新聞広告を使うのは彼らのいつもの手だった。

ちなみに、「物語」「物語にすぎない」「物語ることが大切」とは、色々新聞などで記事になったり、角川のキャンペーンにもなって流行ったもの。
一概にどこから流行ったというわけでも無く社会現象になり、漫画のセリフやブログなど、みんなが当たり前に使うようになってるのが恐ろしい。

「物語」云々はハンナ・アーレントの本を読んで書いただけなのだが、まるで私がアレンジしたのがそのまま流行って遠くへ行ってしまったかの感がある。
それぞれに表現することがあって使ってるので別にいいんだが、私のせいでは全然無いのに、何か責任を感じてしまう。
そんな気持ちになってしまうのは、囲い込みストーカーによって、ネットや社会に私のメモや行動が反映させられる状況が長く続いたためだろう。







■作品について

第二部になると保守批判が前面に出てくる。
それも全部べらべら説明して並べ立てるだけ。
それなのに「思想を動かすには論理だけでなく、感情を動かすのが大切」と何度も言っている。つまり、保守批判する気が無いのか?

あと左翼って何故か暴力とセックス、「快楽」「気持ちいいから」ばっかり。
念写能力のカメラマンアニメでもそうだった。
何の影響なのか。
共産主義の唯物思想観がそんなのなんだったか?

「思想を動かすには論理だけでなく、感情を動かすのが大切」とあったが、最後にセックス教団の教祖の過去で、元々善人だったが異常性欲で「殺しちゃったら気持ちいいかも」と殺してしまう話の描写が濃い。
つまり、作者の主張はこの辺で、読者の感情を動かして人殺しにしたいのだろうか?
手術中に勃起してるだけでもおかしいが、殺して気持ちがいいとか、支配感を感じるという猟奇的描写。
その末に何にも興味がなくなったのは、つまり何をしても快楽を感じない薬中状態の表現か?
まさか、これも私ネタなんだろうか?あまりにも無になろうとしていた様子をネタに?

小説でセックス教団の教義には、「セックス中に神がくるが、やってると分からないから見ることが大切」とある。だが、信者らはあまり気にしていないし、どうして洗脳されたのかも分からない。
日本にはセックス教団は無い。中世あたりには真言立川流があったらしいが、小説の描写は現代だと性接待とかを思い起こす内容。だって女がみんな若いのばっかりだし、中年が若いの抱く描写とかだし。
ドラッグ・セックス・暴力ばかりの作品



中村のインタビュー記事

無意識で書いてるとか云々も私ネタ?
夢見る骸(自作ゲーム)について当てこすられ、どういう訳で作ったのかなど喋らせようとするので、日記でそう書いていた。

そしてなぜ『R帝国』の登場人物に栗原がいるのか。



■『R帝国』2017年発売

 未読だが、レヴューなど見る限り、将来の日本は必然的に右傾化するものとして、独裁のような悪夢を描いたものらしい。

 私も、2016年あたりから世界情勢について書いていた。
 日記で私は、「量的緩和など近隣窮乏化政策で再び不穏な政治状況に戻る」とか「ナチスの再来」とか書いていた。また、多国籍企業を念頭に「国VS市場」についても書いていた。
 このままでは第二次世界大戦のころの世界経済に戻ってしまう、と。

 R帝国では、栗原という人物が政策の陰謀に気付き、活動し始めるのだという。
 それで、移民への差別誘導とか、色々描写があるようだが、私が懸念してた世界経済などの説明は一切ないらしい。
 つまり、背後関係を説明せず、一方的に右傾化だけを批判したような小説。

 著者は犯罪者の心理とかを書いてきた作家だが、突然、このような本を書き始めたのは左翼の工作によるものだろうか?
 まあそうだとしても、前作が私ネタだったし、R帝国で栗原を登場人物にし、またしても私の日記ネタでやるところを見ると、つまり私へのストーカーもあるのかもしれない。


■総評
 小説で仄めかしとは異色だが、『教団X』は結構、新聞広告で宣伝されていた。
 新聞広告を使って注意を引くのは過去によくあったし、小説にも注意を向けさせようという工作だったのやもしれない。

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