2015年の小説『ヒトでなし』
「人間でないものこそ人間を救える。神も仏も人間ではない」
京極夏彦の小説は大学時代、読んでいた。
特に宗教、禅の話は気に入っていた。
今回のも気に入るかと思ったが、どうもおかしい。
読んでると、私のことを知ってて書いてるような気がする。
揶揄されているし、奴らがやってきたことがネタになっている。
見ると、タイトル画像は「目玉」に「白黒タイル」で、奴らがきゃりーぱみゅぱみゅなどで宣伝していた「フリーメイソン」の暗喩である。
つまり、「また奴らが工作した」という暗喩になっている。
(金剛界って副題もそう。私が興味を持つタイトル。)
またかよ…と思いつつ読む。
いちいち私の日記とか、私の揶揄とか、侮辱とか、挑発、毀誉褒貶になっている。
簡単な解説
・まず第一章は、奴らが私に「死ね」と言うようにしたら、私が対抗するようになったのを、「生かしてやった」と表現してるのを連想させる内容になっている。
作家は依頼通りに書いてるだけなので、翻案みたいなものとして読めばいいのかもしれないが、どうにも現実に起きたことと違うのが気になってしまう。
奴らが工作してると思うと、なおさらだ。毎度のことだが。
・この「やれ」と言われるとやりたくなくなる感じは、先回りストーカー、嫌がらせ・マインドコントロールである。
・リストカットする人間に「失敗してる」と言うのも私がノートに書いたネタだ。
実際に、大学で言ったこともある。あの時も叱り飛ばしたのだ。なぜ死なんのだと。すると、彼は言わなくなった。
奴らの工作だから、知ってて書かせたのだろう。
・「言葉じゃなくて音だから気にしない」とかも反映されている。
・私は日記で、「生きたいとも死にたいとも思わん。」「拘りが無い。」「無だ。」と書いていた。
とにかく無になって、奴らの批判、侮辱、嘲笑、揶揄、すり替えを無効化する態度を取っていた。
真っ当に反論するとバカみたいなノリで茶化されるし、じゃあ「無」だ、と。反論しても殆ど効果が無かったが、「無」と言えば無効化できる。楽だったのだ。
自分の話だからいつも同じ論理で良いし、論旨が一貫する。
論旨が一貫する分、精神的な勝利が得られる。
私の反論の仕方が新奇性があったのだろうか?
結構、細かい論理まで色々、書いたことが反映されていた。「人を傷つけると真珠が生まれる」とか言う人たちなので、あるかもしれない。
いちいち、無の論理で物事が中和され、解決したことになるのが終盤までのパターンだ。
・すると、それは「ヒトでなし」だとして揶揄するオチになっている。
実の娘を殺した犯人が現れ、全く反省の色も無く人を殺したい殺したいと喚いていて、さらに犯人は「怒った親が叱りに来たことない」から「もう許されてる」とまで言ってるのに、主人公は「どうでもいい」として聖者に認められる、という話だ。(叱るときも「どうでもいい」「他人を批判できるのか」「やれ」しか言わないから、そうなる。)
そんな小説。
また反逆煽りだ。最後のセリフは、「俺は…ヒトでなしなんだそうだ」。
また、解説もなにやら揶揄になっている。
小説の最後が説明不足で全く終わった感じが無く、むしろギャグ、「オチ」になってるから仕方ないのだが、
小説の後半のセリフを引用して
「学習したって修業したって、人は変わらんのだ。
反省すりゃあ失敗は減る。学習すりゃあ成功も増える。経験積めば効率は良くならぁ。
でも、根っこのとこはおんなじだ。伸びた枝葉は刈ることもできるだろうが、根っこはいじれねぇ。下手にほりゃ枯れるよ。
だから分かってたってどうすることもできねえのよ。そうでなくっちゃ後悔なんて言葉は生まれねえだろが。」
とあるのは、ダブルミーニングだと思える。
奴らが何をやっても、私が犯罪を犯さない。それどころか無視しようとするばかりで何もしない。ひたすら「無」にして精神的勝利を狙い、耐えるだけだったのを侮辱しているように思える。いや勝利と言うより、論理的一貫性だけの人間になっていったのが当時の私だ。本当にそこまでやっていた。
何しろ、私が「攻撃されても反撃しない」のは3歳の頃からずっとだと、奴らは知っている。私がそう言ったから。だから、解説で揶揄をさせる。どうせ、奴らの指定だろう。
最近も実験対象として不適だと、何度か仄めかしがある。
一応、私の立場を説明しておくと、私が引きこもりの自己愛野郎になったのは、奴らが集団で、他人に相談できないような仕方で、人を迫害、辱め続けて、自分のことばかり考えるようにしたからだと言いたい。
だから、引きこもって、神話づくりとか精神世界とかやりだしてしまった。
私が公共のためとか社会のためとか言うと、奴らは批判していた。
最近じゃ、支配層は自分たちのことしか考えてない、と何度も刷り込んできた。まあ事実でしょうが。
そして、いろいろ事件を起こし、人殺しさせまくって煽って来る。この小説はその予告になっている。だからヒトでなしを作ってるわけだ。
その一方、娯楽作品で被害者をヒトでなしと揶揄させてくる。とにかく挑発する。
とにかく犯罪を犯させたいらしいのだ奴らは。犯罪の動機としては、憎悪の方が強い。
事件を起こさせる。そうでなくても、人生を破壊する。それしか考えてない。そういうノリでマスメディアを工作しまくり、挑発し続けている。
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