大河ドラマとか、アニメとか、映画とか、フィクションだとは分かっていても、見ると洗脳されるってことはあるかと思います。
情報は情報なので認知できるんですが、現実とフィクションの区別は知らないとできない。
それと同じです。
『殺人少女と一週間過ごす』ってゲームがあります。
絵の中の少女の好みに合わせて絵を描くってゲームです。
プレイヤーは画家で、失敗すると殺されてしまいます。
先人たちが残した記録を頼りに絵を描くんですが、「好みが変わった」とか「色が違う」とかで怒りを買って悪戦苦闘する話です。
しかし、少女は「悪魔ではない」と言います。
作中、少女は人形のようだと表現されます。
最後には、少女の絵を描いていたはずが、少女の過去を描いていたのだと分かります。
少女は最後に、画家に「好きな色で描いて良い」と言い、イヤリングを描かせます。
その後、少女の死が再現されます。
しかし、父親がイヤリングを見つけ、怒りを買うことで、少女の絵は黒く塗りつぶされてしまうのです。
しかし、イヤリングを描くと影が戻り、折れ曲がったクビと真っ黒に塗りつぶされた影が動き出す、という話です。
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| やたら「夕暮れ」って言うゲーム。 |
なんとも悲しい話ですね。
ゲームでは少女と画家の関係は、少女が加害者で、画家が被害者のように描かれますが、実際はどうでしょうか。我々とメディアの関係は?
描かれる側と、描く側の関係。
事件や、事故の記憶が、フィクションや宣伝によって置き換えられ、印象操作されることはあるわけです。
日常的にそういう操作が行われているのではないでしょうか。
安部首相が難病の腹痛で辞任した時の話ですが、あの後、奴らが工作してるWebcomic胎界主では「腹を異常にされた魔王が神に直され、感謝する話」をやりました。
これも印象操作です。
奴らの用語だと、サブリミナルとか言うらしいですが…。
安部は辞めなきゃならないほどの状態…には見えませんでしたね。
そういう仄めかしもあります。とにかく、そういうことを続ける。

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