2021年3月31日水曜日

メディアで洗脳 フィクションで事実とすり替える話 『殺人少女と一週間過ごす』

大河ドラマとか、アニメとか、映画とか、フィクションだとは分かっていても、見ると洗脳されるってことはあるかと思います。

情報は情報なので認知できるんですが、現実とフィクションの区別は知らないとできない。

それと同じです。



 

殺人少女と一週間過ごす』ってゲームがあります。




絵の中の少女の好みに合わせて絵を描くってゲームです。

プレイヤーは画家で、失敗すると殺されてしまいます。

先人たちが残した記録を頼りに絵を描くんですが、「好みが変わった」とか「色が違う」とかで怒りを買って悪戦苦闘する話です。


しかし、少女は「悪魔ではない」と言います。

作中、少女は人形のようだと表現されます。



最後には、少女の絵を描いていたはずが、少女の過去を描いていたのだと分かります。

少女は最後に、画家に「好きな色で描いて良い」と言い、イヤリングを描かせます。

その後、少女の死が再現されます。

しかし、父親がイヤリングを見つけ、怒りを買うことで、少女の絵は黒く塗りつぶされてしまうのです。




しかし、イヤリングを描くと影が戻り、折れ曲がったクビと真っ黒に塗りつぶされた影が動き出す、という話です。

やたら「夕暮れ」って言うゲーム。



現実に戻ると、少女の絵はズタボロになり、消え去っています。

なんとも悲しい話ですね。


ゲームでは少女と画家の関係は、少女が加害者で、画家が被害者のように描かれますが、実際はどうでしょうか。我々とメディアの関係は?

描かれる側と、描く側の関係。

事件や、事故の記憶が、フィクションや宣伝によって置き換えられ、印象操作されることはあるわけです。

日常的にそういう操作が行われているのではないでしょうか。




安部首相が難病の腹痛で辞任した時の話ですが、あの後、奴らが工作してるWebcomic胎界主では「腹を異常にされた魔王が神に直され、感謝する話」をやりました。

これも印象操作です。

奴らの用語だと、サブリミナルとか言うらしいですが…。

安部は辞めなきゃならないほどの状態…には見えませんでしたね。

そういう仄めかしもあります。とにかく、そういうことを続ける。



0 件のコメント:

コメントを投稿